葬儀社にやってもらえる事、自分でやらなくてはならない事は?。
(1)かかりつけの病院があれば医師を呼び、状況確認をしていただきます。
※突然死の場合は警察への連絡が必要となります。
(2)死亡診断書を発行していただきます。
(3)葬儀社へ連絡し、お参り道具の準備や遺体の清めなどを行ないます。
(1)医師による死亡確認を受けます。
(2)死亡診断書を発行していただきます。
(3)葬儀社へ連絡し、ご遺体をご指定の場所(ご自宅・会館‥)へお連れ致します。
ご自宅もしくは、ご指定の場所に安置させて頂きます。
安置場所が決まらない場合は、当社スタッフにご相談下さい。
当社スタッフが責任を持って所定の場所にご安置させて頂きます。
故人の名前やお亡くなりになった日時などをまとめ、まず家族や親族に連絡します。その後、故人の会社や友人関係には葬儀日程が決定次第ご連絡ください。
危篤の知らせは限られた親族のみに行いますが、葬儀社や菩提寺(お墓のあるお寺)への連絡も忘れずにお願いします。
故人の配偶者か、既に成人し社会人として活躍している子供がつとめます。故人が子供の場合は、父母のいずれかが喪主になります。
仏教の世界では、死後49日間はこの世とあの世の中間の世界を漂い、49日目の審判で死者の運命が決まるとして、この四十九日を重要視しています。この日を境に忌明けとなるとされていますから、近親者、知人、友人を招いてお寺様にお勤めを頂きます。
葬儀社は病院からの搬送から葬儀終了まで、基本的には全てお世話いたしますが、
ご自分でしなければならない事を以下にまとめます。
・病院から死亡診断書をいただくこと
(役所への届け出は有料・無料ありますが葬儀社が代行いたします)
・お寺(教会、宗教者)、親戚、会社、町会等各関係者への連絡
・おおよその参列者数の予測
・当日の受付等の係員手配
・当日必要な現金の工面
・遺影用写真を選ぶ
・家紋の確認
また、葬儀後には、役所等への各種手続き・宗教者へのお礼・係員等関係者へのお礼・香典返し・納骨、お墓に関する事等、行うべき事がいくつかあるのでご相談ください。
お寺の墓地に埋葬しないなら、お葬式は無宗教でもいいわけですが、お葬式だけは仏式でやりたいという場合は、葬儀社に頼めば僧侶を呼んでくれます。葬儀社が僧侶を手配する場合は、お布施や戒名の金額は葬儀社との打ち合わせで決めることになります。
出す側からは、仏式のお葬式の場合なら「御仏前」、仏式でないなら「御霊前」と区別しておけばいいでしょう。なお、市販の香典袋に、「死後49日までは御霊前、49日以後は御仏前」という説明が書いてあったりしますが、厳密には正しいとは言えません。浄土真宗のように「霊」を認めない宗派もあるからです。
葬儀というのは、残された家族が故人の死を受け入れ、気持ちを切り替えるための大切な儀式です。葬儀はきちんと何かの手順をふみながら、気持ちの切り替えをしてゆく儀式だということです。おおげさにやる必要はありませんが、省略するというのは遺族にとってもけっしていいことではありません。
お寺に埋葬しないのであれば、お葬式を無宗教葬にすればよいので、その場合は僧侶は来ませんし、戒名もいりません。でも、お寺の墓地に埋葬するなら、仏式のお葬式をしなければなりませんから、お寺にも最低限の支払いが出てきます。その場合は、お金がないからと正直に言って、戒名料、お布施の金額について前もって交渉してみる事です。
香典だけでお葬式ができることは、まず、ないと思ってください。香典をくれた人には返礼品をお渡しするのが礼儀で、ふつうはいただいた額の半分は出ていきます。また、お葬式の規模を小さくして出費を抑えるほど、集まる香典も少なくなります。香典は予想より必ず少ないと思っていいので、あてにしないほうがいいでしょう。
今は、葬儀に関するいろんな情報があふれています。できればその情報をもとに事前に葬儀社と打ち合わせの時間を作ることが節約には一番いいかと思います。あなたにとって必要なものは。不必要なものは。いざと言う時も落ち着いた行動ができるかと思います。
一人の人間が生きたということは、この世に生まれてさまざまな人との出会い、そして関係を結んだということであります。葬式には、そうした関係を再確認する機能があります。その機能が十分に発揮される葬式が、何よりも一番好ましい葬式なのかもしれません。そんな葬式なら、誰もがあげてみたいと思うに違いありません。
葬儀は写真とお花だけ飾ってごく簡素にやることもできますし、豪華な祭壇を作りたい人はそうしてもいいですし、僧侶に頼んでお経を読んでほしい人はそうすればいいし、家族だけの食事会にしたい、というのも自由です。
自分の感情を正直に味わいながら、音楽を流すとか、皆でお香を焚いて拝むとか、故人に一言ずつ言葉をかけるとか、どんなことでもいいですから「こういうことをした」という何か区切りの形をつくることです。
お寺の墓地に埋葬しないのであれば、お坊さんも戒名もいりません。しかし、仏式とは限りませんが、何らかの形で宗教儀礼を行ったほうがいいかと思います。
宗教儀礼を行わない場合、亡くなった人の行方、どこに行くのかというわだかまりを抱えてしまうケースがすくないからです。送る人の気持ちに区切りをつけることが難しくなります。
決まった宗教をもたない、お寺とのお付き合いが無い場合、仏教など特定の宗教宗派によらない方式でもお葬式はできます。大事なことは、皆で送る気持ちを何にかの形で表現することです。故人の好きだった音楽を流したり、お孫さんに歌ってもらったり、故人の好きだったお花でいっぱいにするなど。「自由葬」として形にこだわる必要はありません。
病院から自宅に帰ることなく、通夜・葬儀を行う場合は、隣近所には、葬儀が住んでから知らせるのでもかまわないでしょう。その際は、故人や家族の希望で、身内だけで葬儀を行ったことを説明しましょう。自宅で家族葬を行う場合は、隣近所には事前に説明しておいたほうがよいでしょう。また、葬儀が終わった後にも、挨拶に出向きましょう。
最近でも、住み慣れた我が家で家族とのお別れの時を過ごしたいと希望される人が少なくありません。祭壇を設けず、こじんまりした葬儀であればマンションでも可能です。問題は遺体を運ぶストレッチャーや棺がエレベーターで運べるかどうかです。マンションでの葬儀が可能なのか、どのような葬儀ならできるのか、事前に葬儀社と打ち合わせされるのがいいでしょう。
私たちは必ずいつかは旅立つのであり、その時期も場所も自分で決められないのですから、お葬式に関して希望があるなら、その話をタブーにするのはおかしいのです。最近では、日常会話の中で「こんなお葬式がいいね」と明るく話す人もふえているのはよいことで、そういう話ができることこそ幸せなことなのです。そうしてこそ、世の中にいろいろな形のお葬式が広まるはずです。
家族葬という優しい響きの名前に変わったとたん、多くの方が支持し、選択するものになった「家族葬」には温かく、死者をよく知る人によるお別れというイメージが与えられたようです。家族に葬式のことで迷惑をかけたくないという高齢者、お客の接待でおちおち悲しんでもいられないと従来の葬式に反発していた人、自分の家族の葬式で他人の世話になりたくないと感じていた人、死んだ家族とゆっくり時間をかけてお別れをしたいと思っている人、その他多くの人に家族葬は支持されるようになっている。「家族葬」は従来の葬式とどこが違うのか、というと、従来は葬式を告知してどなたでも来ていいですよ、というオープンなものだったが、家族葬は来てもらいたい人だけに案内するという点であります。
今では「ホテル並み」の接客サービスがもてはやされ、好きだった音楽を流したり、故人の生涯をビデオとナレーションで紹介したり、あるいはイベントばりの演出をするなど、「感動を与える葬儀」が唱えられている。しかし、大切なのは、遺族の心情を理解し配慮した、細やかなサポートではないでしょうか。この点では、今の外見的にはスマートなサービスよりも、昔の「葬儀屋」と言われた時代の人たちの「何がなんでも遺族を守る」という心意気が勝っていたということがある。
葬儀は遺族にとって、通夜や葬儀式という「点」ではなく、看取りから始まる「プロセス」であることは、葬儀に携わった者は充分に理解していることが大切である。必要なのはイベントとしての盛り上がりではなく、遺族のプロセスに寄り添うことなのである。そして遺族が、「自分たちが死者を送った」という実感をもっていただくことではないでしょうか。
よく葬儀代が高い、あるいは不明瞭だという声を聞きます。どうして葬儀代が高くなってしまったり、不明瞭になってしまうのか、その大きな要因のひとつは、準備不足があるといわざるをえません。人は死を日常的には忘れています。というか忘れようとしています。しかし、死は突然にやってくるものです。死に直面した家族は、悲しみの中で葬儀という、故人の最期のセレモニーを迎えなければなりません。故人の意思を反映したいと思いながらも、限られた時間の中でさまざまな決断をしていくことになります。その結果、業者がすすめる「世間の目を気にした無難な葬式」で執り行われるということも少なくありません。そうしたことが、葬儀が終わった後、「業者にいいなりになった」といった不満になって残ってしまうのです。もし仮に、故人の意思を事前に聞かれていたとしたら、そこには満足感が残るはずです。その故人の意思、あるいは喪主の意思を予算内で反映することは、まともな葬儀社なら必ずできるはずです。
「葬儀に来てくれそうな人たちが、みんなあの世に逝ってしまった」「長い間、闘病してきたので、さらに家族には迷惑はかけたくない」、そんな思いが家族葬を選択させています。「ひっそりと葬式を行いたい」という思いが見え隠れしています。家族葬のこうした話を聞くたびに、本音の部分はどうなのだろうかと思ってしまいます。
お世話になった方々、親しく交際してきた方々に見送られたいというのが、本当の気持ちなのではないでしょうか。葬式は贅沢だという人がいます。果たしてそうでしょうか。人生の最期のセレモニーです。お世話になった方々にお礼を言いたいのではないでしょうか。形にとらわれないのが家族葬のいいところです。その人に一番ふさわしい葬儀があるはずです。
僧侶などの宗教者は依頼せず、家族だけで故人を囲んで、通夜・葬儀をおこなうことはもちろんかまいません。ただ、実際には、家族葬でも従来の葬儀同様、僧侶を招いて戒名を付けてもらい、通夜・葬儀にお経をあげてもらうケースが多いようです。
葬儀についての知識も準備もないまま、家族の死をむかえた時には、遺族は大きな悲しみの中でとまどいながら葬儀を執り行わなければなりません。葬儀は慣れないことの連続であり、時間に追われるように葬儀を行った結果、十分なお別れができなかった、という思いを抱く人も少なくありません。自らの死や葬儀について考えるのは「縁起の悪いこと」ととらえる人もいます。しかし、葬儀は亡くなった人が安らかに眠れるように祈るとともに、残された人たちが最愛の人の死を受け入れるための大切な儀式でもあるのです。元気なうちから、自分がどのように人生を締めくくりたいかを具体的に考え、家族に伝えておくことは、見送る側の不安や不満、とまどいをやわらげることになります。
@葬儀を知らせる範囲 A香典を受け取るか受け取らないか B葬儀後、死亡を通知する範囲
家族以外の親しい友人などに知らせる場合は、知らせなかった人から、あとで責められることも予想されます。自宅で家族葬を行う場合は、隣近所の人が弔問に訪れる場合もあります。どのように対応するか事前に考えておきましょう。香典に関しては、受け取らないと決めていても、近い親戚からの香典は断れないことが多いようです。家族葬後の死亡通知も、送る範囲には配慮が必要です。また、家族葬後、亡くなったことを知って弔問に訪れる人も予想されます。その対応をどうするかも考えておいたほうがいいでしょう。